津和野街道ブログ

津和野街道の魅力を紹介
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2019年5月1日〜3日に行われたカトリックの方たちによる「津和野への旅」、その二日目の様子をお伝えします。
この場所は廿日市市中道です。
朝四時に栗栖を出発、現在八時ですがすでに6.5kmを歩かれ、ここでお祈りと朝食をとられました。
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羅漢山の生山峠(標高960m)を越えて岩国市錦町島ノ谷集落を歩かれています。
参加者は40名、旧佐伯での宿泊場所がなく現在精いっぱいの人数です。
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岩国市錦町大原でのミサの様子ですが、ご了解を頂き写させいただきました。
この津和野街道はカトリックの方たちにとっては殉教の道であり、そのことがバチカンでも認められ、今後は全世界に発信していきたいと思います。
今回は、
明治初期、祖母が津和野で迫害を受けられたと言われる方も参加され勉強にもなりました。
そうした歴史の中で、改めて「平和の道と認識し」頑張って情報発信したいと思います。
近い将来、
全世界から津和野街道を歩きに来られることも現実になるように思えます。
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2017年1月31日日の重なり岩です。落ちそうで落ちない岩は、この時期のパワースポットですから、今日もお参りに来られる方がいらっしゃいました。
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広島市幟町カトリック教会より雑誌が届きました。いつも津和野街道の旅をされている司祭さまよりです。
中には参考にしてくださいと書かれていました。
いま読んでいますが浦上四番崩れによる津和野での出来事などが書かれています。ご承知のように、津和野街道は明治初期に、改宗を目的として流配された153人のカトリック信者の方の歩かれた道です。現在津和野での殉教者を聖人への動きもおありとか、また一つ津和野街道の歴史の重みを感じます。
表紙は津和野の乙女峠マリア聖堂、その名前の由来なども書かれていますので、ガイドの時にお話しできると思います。
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津和野街道に「かご立て場」が復元されました。
「かこ立て場」とは参勤交代のときにお殿様が休憩された場所です。一般的にはこのように簡素なものであったようです。
「茶屋床」とも言われますが、「お茶屋」と呼ばれる場所は本陣などで正式な休憩場所です。そろそろ街道はマムシグサ、ショウジョウバカマ、イカリソウなど春の花の季節になります。
これで雨が降ってきてもお弁当が食べられます。
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春の津和野街道ウォークは、津田交通さんが運営されますのでぜひご参加ください。
詳しくはこちらを
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十王とは閻魔大王を中心とした十人の裁判官で、鎌倉時代に日本に広まり、宿場の結界(守り神)として宿場に祀られました。
十王による裁判は七日ごとに行われるために、家族が極楽に行くことができるようにお祈りするのが初七日や四十九日の法要だそうです。
写真は旧佐伯町・津田の十王堂です。

津和野街道が書かれている古い小説の、
「源吾旅日記」の中では、「十王堂に泊まる」とありますので津田の宿(宿駅)は十王堂と呼ばれていたのだと思います。
バス停はいまでも十王堂です。
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今日4月23日ボランティアガイドで津和野街道佐伯エリアの清掃中に、偶然一理塚らしきものを発見しました。
少ない歴史資料ですが、照合しても場所もほぼ一致します。
そして全様も山口県岩国市の山代街道の一理塚と類似しています。
山代街道とは、
津和野街道「津田宿」から「萩」までの街道です。

塚・とは(ウイキペディアより)
塚(つか Mound)とはその周囲の地面より、こんもりと丸く盛り上がった場所を指し、具体的には何かが集積、堆積した盛り上がりや、小さな山や丘や古墳などである。
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廿日市市津田、佐伯商工会横の道は旧山代街道です。この場所が山代街道と津和野街道の分岐点となります。
山代街道とは長州藩の萩と本郷代官所を結ぶ道ですが、本郷から秋掛、亀尾川を経由してこの場所に接続します。
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津和野街道は廿日市市津田(旧佐伯町)から山代街道へと分かれます。山代街道は萩本郷往還とも呼ばれ長州藩の街道です。「やましろ道」と呼ばれていたようです。
津田より浅原、亀尾川、秋掛、本郷、錦町を通過しています。
写真は安芸と長州の国境の関所跡、この標識の方角へ約100mですが今は何もありません。
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